Dr. K

気の赴くままに書きます

【雑記】恨みは自分の為ならず

退職してから早三ヶ月が経つ。メンタル面も少しづつ回復してきてる気がする。年始は余裕がなくて自分の余裕が100ならいつも120とか130だったものが、最近はようやく80とか90になっている気がする。

メンタルクリニックも節制のために行かなくなり、どうにか自分で治そうとしている。はじめのうちは、ずっとイライラして大変で、生活リズムもぐちゃぐちゃで、完全に昼夜逆転をしていた。ちょうど12時間ずれて生活していたと思う。今は日が沈んだら寝て真夜中に起きるようになり、まあ正常になりつつある。

 

最近の心配事はやはりお金。働き始めて1年と学生時代の某振の蓄えがみるみるうちに底をつきそう。かといってすぐに働けるかと言われると、怪しい。もう失敗はしたくないという思いもあり、腰が引ける。とりあえず、お金が底を尽きるまでは楽しく生きようと思う。

 

3ヶ月の間に、離職証明を取り寄せたり、K費などを止めるための書類作成なども頑張った。大学側は作業が遅いのにこちらの締切は早かったりするので、イライラした。全く自分のために使えなかったものの実績なんてない。恨みつらみを書きたかったが、後々面倒になりそうなので、当たり障りのない文章。

 

もう恨みつらみがないかといえばうそになる。毎日のようにこんな事になったことを恨んでる。だから、頭のキャパの無駄遣いをしている。いくら今を嘆いても過去は変えられないが、自分の人生を他人に委ねたことは、最大の汚点だと思う。

やばい状況からは逃げたほうがいいというのは本当だが、逃げた後の道の準備もコツコツすすめるべきだと実感した。唐突にはだめだった。辞めたことに悔いはないというか、最善解だと思うが、この辞め時も他人に相談していたのもだめだった。

 

最近、池袋のひき逃げや赤木ファイルがニュースとなっているが、上に立つ人のメンタルはどうなっているのだろうか。他人のことを何も考えていないのか、感じられないのか、どこに行ってもそういう人が上に立つのだろうか。みんな保身だらけ。

 

別に自分がいなくなっても世界は回るし、社会も回る。博士号なんてあっても意味はない。研究室にいてくれてよかったと言われてもそれは上の立場からの意見で、こっちには百害あって一利なしだった。理系はみんな修士にいって就活するけど、それってどうなんだろうか。海外では修士で終わるのはDに行けなかった人たちのレッテルだと聞いたことがある。学士で会社に行ってから学ぶことはできないのだろうか。論文も出せない教授のもとで良い教育ができているとは思えないし、教授は自分の成果しか考えていないのだから、早く社会に出て勉強したほうがいいのではないか。ただただ2年間を無駄にしているのではないか。まあ、海外では博士課程の学生は給料がもらえるから博士に進もうという気は起きるかも。でも、3年で出るのは稀なそうなので、給料がもらえないで3年でとれる可能性の高い日本の博士号はどちらがいいのだろう。日本はエスカレーター式に同じ研究室で過程を終わらせられるが、海外は研究室を移らなければならない。どっちがいいのかはよくわからない。でも、日本の制度は少しおかしい気がする。

 

これからまた将来のために大学に入り直す予定。学費のためにも働かなければ。20代が泡のように消えた。やはり恨みは消えないが、いつかは消えてなくなるような未来が待っていてほしい。