音楽のあれこれ
音楽に興味を持ったのは、小学五年生の頃ということはなぜかはっきり覚えている。
いつの間にかポルノグラフィティの愛が呼ぶほうへを口ずさんでいた。
当時はCDからMDへの変性期であり、MDプレイヤーとコンポを購入した。
ツタヤに行ってCDを借りて、MDにうつすことをひたすらに繰り返した。
また、パソコン上に楽曲データを取り込むこともその頃覚えた。
今思えばMDなぞいらなかったのではないかと思う。
ポルノは当時、ベストアルバムのレッドとブルーを出して、三人から二人になるという頃だった。中学に入ってからかな。初めて買ったCDもポルノだった。あのときはいつもそばにポルノがいてくれた。
高校に入ってからは、MDからMP3プレーヤーに遷移していった。
それに合わせて趣味嗜好も変化していった。
BUMP OF CHICKENが主流になった。
中学の頃から天体観測やラフメーカー、ハルジオンなどで名前を知っていた気がするが、高校の部活の先輩の影響で聴き始めたのがきっかけだ。ちょうどorbital periodが発売したときだった。部活に没頭していた自分は才悩人応援歌などに心惹かれた。
そのことにレミオロメンやpillowsにも知り合えた。もともと音楽を聞くのは好きなので、ゆずだったり、ミスチルだったりもよく聞いていた。
浪人時代はよく覚えていないが、いつも音楽は聞いていたと思う。
ミスチルの終わりなき旅は応援歌だった。
大学に入ってからはRadwimpsが輸入された。有心論などは高校の頃から知っていたが、BUMPに似ているといったところだった。ちょうどアルトコロニーや絶体絶命が盛り上がっている頃で、BUMPとも少し差別化されていた気がする。
夏休みはカラオケにフリータイムで居座り、友達が歌う曲で知らない曲もたくさん知ることができた。
back numberのわたがしもカラオケで知った曲だった。
研究室に配属されてからもRadを聞きまくった。バツ丸のライブに誘われたが断ったのは今では後悔している。研究なんて本気でやっても意味がないとわかるのはずっとあとになってからだ。
M1のころ、人生で初めてのライブに行った。自分からではなくライブが好きな友達の誘いで行った。なんと、ポルノとback numberの2つも行けたのだ。
ポルノは迷わずの森、横スタだった。その頃もうすでに三人でやっていた頃よりも二人でやっていた頃のほうが長くなっていたことに驚いた。
back numberはラブ・ストーリーのツアーだった。さいたまのスーパーアリーナではないところだった気がする。TシャツはLではなくMのほうがいいことにその時初めて気づいた。
院生の頃はメジャーになるかならないかの境目のバンドをよく聞いていた。
自分も研究者として生き残れるか不安だったので、ガンガン燃えたぎっている音楽を聞きたかった。super beaverやpeggiesなどがこの頃だと思う。アルバムやライブのトレーラーを聞いたあとにフルでいいて、ここを抜き取ったのか。。という鳥肌モンの事が多々あった。
そして、最近はKing Gnuが一番来ている。
一番つらい追い込みのときに聞いていた曲teenager forever。
テンション上げていたのが思い出される。
ミーハーな感じで遷移しているが、BUMPやポルノも今でも少しは聞いている。
BUMPのGO!やAuroraは鳥肌モンだった。
洋楽といえばBeatlsを聞いていたこともあったが、英語の勉強ができるとドラゴン桜でいっていたため、そこまで自主的に聞いていたかというとそうではない。
そうなると、oasisのみである。
国際学会で聞いた曲なのかな。よく覚えていないがoasisの曲を夜のパーティーでみんなが歌っているのが印象的だった。
そんなこんなで自分の音楽史を大雑把に書いてみたが、少しずつ曲と記憶をリンクさせながらなにかかければいいなと思う。